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「カナさんの資料、すごく分かりやすかったよ」
そう言われた瞬間、嬉しいはずなのに体が固まる。
気づいたら「いえいえ、全然まだまだで…!」と口が勝手に動いている。
褒め言葉を受け取れなくて、反射的に手で払いのけてしまう感覚。
ありませんか。
「謙虚でいい」って言われるけど、内心はそんな穏やかじゃない。
なんなら褒められたあとのほうが、一人になるとモヤモヤが増している。
このシーンを描きながら、私自身もあの「カーッ」とした感覚を思い出してしまって…
あれって本当に、嬉しいのか怖いのか、自分でもよくわからないんですよね。
職場の会議室。上司からの一言に、カナの首がカーッと赤くなりました。
「カナさんの資料、すごく分かりやすかったよ」
「さすが」「すごい」「才能ある」という言葉が降り注ぐように聞こえてくる。
カナは傘を盾にするように身を縮めながら「いえいえ、全然まだまだで…!」と全力で否定する。
廊下で同僚に「カナさんって本当に謙虚だよね〜」と言われたそのとき、
カナの心の中では「笑って。普通にして。目立たないで…」という声が必死に叫んでいました。
夜、一人でソファに膝を抱えてぽつりと思います。
「なんで私、褒められるのがこんなに怖いんだろう」
これがちいドロ——小さなドロドロとした感情の始まりです。
怒りや悲しみがきっかけでモヤモヤするのはわかる。
でも褒め言葉という「ポジティブな出来事」に、こんなに体が緊張してしまうのはなぜなのか。
自分でも理由がわからないから、余計に苦しいんですよね。
「褒められて苦しいなんて、贅沢な悩みだよね…」
そう自分を責めながら夜を過ごすカナ。
心の自動操縦システムのフローチャートが見えてきます。
扁桃体が「危険信号!」を発する→過去の経験データを検索する→謙遜=安全、として自動操縦パターンが発動する。
過去のデータには、こういう記憶が残っています。
「調子に乗るな」と言われた。失敗してがっかりされた。目立つと叩かれる。
カナ自身の過去の記憶が浮かびます。
幼いころ、テストで100点を取って「見て見て!100点だったよ!」と喜んで帰ったとき、「調子に乗るんじゃない」という言葉を受けた記憶。
「その反応、誰に教わった?」
その問いかけが、カナの胸に静かに刺さりました。

弟から電話がかかってきました。
「姉ちゃんさ、なんで褒められると逃げるの?」
「…逃げてる?」
自動操縦(反射)→手動(選択)の図が見えてきます。
「いえいえ」と反射的に否定するロボットの横に、「PAUSE」ボタンを押して一呼吸置いた人間の姿。
「否定する必要ある?」という一問が、その入口です。
これが「感情の脳ダマ」です。
「褒め言葉=危険・プレッシャー」という感情の自動反応にPAUSEを挟んで、「本当にそう感じる必要がある?」と問い直す——評価の受け取り方を選び直す感情のリフレーミング。
カナは気づきました。
「否定しなきゃって思い込んでた…本当にそうする必要あった?」
弟の言葉はシンプルでした。
「普通に嬉しいって言えばよくない?シンプルにさ」
そのシンプルさが、逆に新鮮に響く。
私、それでよかったんだ。
一番近くにいる人の言葉って、複雑なことを言わないんですよね。
それが、じんわりと届くことがある。
電話の中で弟が言いました。
「てか姉ちゃん、今日も仕事頑張ったんでしょ」
「うん。それなりに頑張ったけど…」
評価のリフレーミング図が見えてきます。
評価を「重荷(プレッシャー)」と受け取るか、「ギフト(成長のエネルギー)」と受け取るか。
受け取り方は、選べる。
カナはぎこちなく、でも確かに言いました。
「いや別に…」
「…ありがとう」
そのとき、胸のあたりにほんのりと温かいものが灯るのを感じる。
「まだ全然ぎこちない。でも胸のあたりがほんのり温かい。
…嫌じゃなかった」
これがちいすぐの体現です。
一呼吸おいて「…ありがとう」とぎこちなくも言えたこと——ばかばかしいくらい小さな一言。
でもその一言が、脳の新しい回路の始まりになりました。
「いえいえ」と反射的に否定するのは、弱さじゃない。
脳が「褒め言葉=危険」と学習してしまっただけ。
一呼吸おいて「否定する必要ある?」と問いかける。
ぎこちなくていい。「ありがとう」の一言が、新しい回路の始まり。
褒め言葉を「プレッシャー」じゃなくて「ギフト」として受け取る練習は、一度では終わりません。
でも「嫌じゃなかった」と気づいた瞬間が、その練習の最初の一ページなんですよね。
みなさんも、褒められたときに反射的に否定してしまった経験はありますか?
もしよかったら、コメント欄で聞かせてくださいね。
実はカナは、このエピソードでちいドロ→脳ダマ→ちいすぐの3ステップを自然に回していたんです。
上司に褒められた瞬間の「カーッ」という首の熱さ。
夜ひとりでソファで「なんで褒められるのがこんなに怖いんだろう」というモヤモヤ。
これが「ちいドロ」——小さなドロドロとした感情です。
ここで大事なのは、「褒められて苦しいなんて贅沢な悩み」と自分を責めないこと。
ただ「ある」と認めるだけでいい。褒め言葉に体が緊張してしまうことは、誰にでも起きることですから。
カナが使ったのは「感情の脳ダマ」です。
「褒め言葉=危険・プレッシャー」という感情の自動反応のままでは、脳は「いえいえ」という謙遜パターンを繰り返し続ける。
でも「PAUSE」を押して「否定する必要ある?」と問いかけた瞬間、「褒め言葉=ギフト・嬉しい」という別の受け取り方が見えてきた。
評価を「重荷(プレッシャー)」から「ギフト(成長のエネルギー)」に変換すること——受け取り方は選べる、という気づきが感情の脳ダマの核心なんですよね。
脳ダマでスイッチが入ったら、あとはほんの一言だけ。
「…ありがとう」——たったそれだけ。
完璧に受け取れなくていい。スムーズじゃなくていい。
ぎこちない一言が、脳の新しい回路を少しずつ育てていきます。
シックスセカンズのEQ 8つのコンピテンシーの中から、今回のエピソードで特に輝いていたみっつをご紹介します。
自分の行動パターンに気づく力です。
「褒められると反射的に否定する」——これがカナの長年の自動パターンでした。
弟の「なんで逃げるの?」という一言で、カナは初めてそのパターンを外側から見ることができました。
「否定しなきゃって思い込んでた…本当にそうする必要あった?」
この自問こそが、自己パターンの認識の核心なんですよね。
パターンに気づいた瞬間、反射から選択への扉が開きます。
感情を抑え込まず、方向づける力です。
「褒められた嬉しさ」を感じることは、調子に乗ることでも自惚れることでもない。
でも過去の学習によって、カナはその嬉しさをすぐに押し込めようとしていました。
カナが選んだのは、嬉しさを封じることでも爆発させることでもない——「…ありがとう」というちょうどいい形で表現するという第三の道。
胸のあたりの「ほんのり温かい」感覚が、ナビゲーションがうまくいった証拠だったんですよね。
可能性を信じて前に進む力です。
「評価=重荷(プレッシャー)」から「評価=ギフト(成長のエネルギー)」への見方の切り替えが、まさに楽観性の発揮です。
人間って面白いですよね。同じ「褒め言葉」でも、「失敗したときに傷つく」と見るか、「可能性を信じてもらえている」と見るかで、体の感覚がまるで変わってくる。
まだ全然ぎこちなくていい。「嫌じゃなかった」という感覚が積み重なるたびに、脳の新しい回路は少しずつ太くなっていくんですよね。
褒められると「そんなことないです」と反射的に言ってしまう。この反応は日本の文化的背景もありますが、EQの視点では「承認を受け取る力」の問題でもあります。
自己否定のクセがあると、ポジティブな評価を「本当のこと」として受け取れません。「どうせ本音じゃない」「次に失望させてしまう」という不安が、謙遜の仮面になる。
「ありがとうございます」と一言受け取ることは、自己肯定感を育てる小さな練習。評価を受け取ることは、相手の言葉を尊重することでもあります。